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ペットロスの私でも、いつかこの子を忘れる日が来るのだろうか

この記事をご覧になっている方は、今まさにペットロスに悩み、悲しみ、苦しんでいる方が多いことかと思います。

本当に本当に可愛がってきたペットの死を迎えるということは、想像を絶する悲しみに直面するということを、私自身も体験して思い知りました。

「病気になったからいつかお別れの時が来るのかもしれない」

「年を取ってきたから旅立ちの日も近いのかもしれない」

と、心の中でなんとなくしていた「覚悟」のようなものが、何て甘っちょろいものだったのかを思い知るほど、身を切られるような思いをしたのが、今から13年前のことでした。

長い年月が経った今、私自身ペットロス とどうやって向き合ってきたのか、どのような心情だったかを振り返ってみました。

ペットロス中・・・写真や動画を見るのも辛い

ひと昔前までは、ペットが亡くなると亡骸ごと近くの山や畑に埋葬したり、公営の施設で合同火葬をされてお骨が返って来なかったりということが通常でした。

しかし現代は、ペットも個別火葬をして、希望する家族は遺骨を手元に持って帰ってきて、自宅で供養をしたり、ペット専用の納骨堂や供養塔で供養をしてもらえるようになりました。

写真や動画の記憶媒体もとても発達して、いつでもペットの写真や動画を見て、当時の声や仕草を見られるようになっていることが、現代は恵まれているなぁととても強く感じています。

私の愛犬が亡くなる前まではまだまだガラケーが多い時代で、写真や動画を送るのにはパケット代がかかり、私を含め父や母もLINEを使っていなかったので、離れて暮らす愛犬の様子はたまに母が送ってくれる写真や、10秒くらいの動画で見るしかありませんでした。

それを何度も何度も繰り返して見ました。

無料でテレビ電話ができる今だったらどんなによかっただろう、耳が遠くなった愛犬にも、私の声が届くように何度もスマホ越しに名前を呼んだのだろうにと思います。

ペットを亡くされたばかりのときには、写真を見るのも辛い、動画なんてもってのほかという方も多くいらっしゃると思います。

今は目を背けたくなってしまうかもしれませんが、いつか少しずつ心が落ち着いた時に、鮮明にペットの姿を思い返すことができるツールがある現代に出逢えたことを、良かったと思える時が来るのではないでしょうか。

いつまでもこの子を忘れたくない・・・ペットロスの悲しみとの共存

大切なペットが亡くなった後も、私達家族は生きていきます。

毎日の学業や家事・育児・ご自身の健康維持や病気の治療・家族の介護など、忙しい毎日を送っていると、

「ペットを亡くしたあの時、あんなに悲しい思いをしたのに、ふとあの子のことを忘れている自分がいるのです。

これって私が薄情なのでしょうか? 本当は、ひと時たりとも忘れなくなんてないのに・・・」

と、ご自分を責められる方がいらっしゃいます。

私は、それは「その子を忘れた」ということではないと思います。

愛犬が亡くなってからずいぶん経ってからのことですが、私はふと気づいたのです。

今の私の考え方・選ぶこと・選ぶ道・価値観、それはすべて、愛犬と暮らしたあの時間があったからなんだ、と。

その事柄すべてが動物に関わっていることではなくても、無意識に私達がコトやモノを選んだり決めたりする価値観の中に、ペットと暮らしたことによって形成されたものの考え方が根底にあるだと思います。

文章にすると難しいですよね。

なので私は、「愛犬と暮らした記憶ごと、悲しみ事、すべて飲み込んでしまって、胃のちょっと上あたりに愛犬が今でも生きていると感じている」と表現しています。ですので、頭や心でなにか物事を決める時に、私の体の中にいる愛犬が何らかの形でか関わってくれていると思うのです。

そして、心が少し疲れてしまった時には、胃のちょっと上あたりにいるその子が優しい顔をして存在が大きく膨らむので、「会いたいな」と思って時々涙が出るのです。

「あの子が居ない」という耐え難い時間をこれから暮らしていかなくてはいけないと意識してしまうと、心がとてもつらく疲れてしまいます。「あの子と出逢ってからのあなた」は、あの子が見えなくなってもずっと続いていきます。「あの子と出逢ってからのあなた」は、まぎれもなく、あの子がくれた幸せや笑顔や思い出で出来ているのです。

毎日を暮らしている間に、ふとその子を意識しなくなる時間があるのはとても自然なことです。

でも、その子を忘れたわけではないのですよ。その子が、あなたの中に溶け込んでいるだけ、私はそう思っています。

新しい家族を迎えて・・・より濃くなった亡き愛犬との記憶

先代の愛犬が亡くなって4年後、偶然、身寄りのなくなったワンちゃんを引き取ることになりました。

大型犬で引き取り手が無く、「前にも同じ犬種を飼っていましたよね?」と声をかけていただいて、これも何かの縁なのかと思いその子を引き取ることにしました。

犬と暮らしていた記憶を呼び起こしながら再び犬と暮らし始めた我が家。

犬種は同じでも雌雄は違い、最期の記憶が老犬の介護だった私達家族にとって、久々の若いエネルギーに面食らう毎日でした。

決して前の子が良かったとか今の子が良いとかと比較しているわけではなく、「前の子の時はこうだったけど、この子は違うんだね。オスとメスでちがうけど、やっぱりちょっとした時の表情は似ているんだね。」と、前の子のことを具体的な映像の記憶として思い出さない日が無くなりました。

そして、今一緒に暮らす子への愛おしさも増しました。

「ずっとペットが居なかった我が家に、来てくれて本当にありがとう。」

悲しみに心が支配されてしまい、忘れていたのは、「ペットと暮らす幸せ」だったのかもしれません。

 

先代の子は、私が小学生の時から一緒に暮らしていて、きょうだいのような、親友のような存在でした。

今、自分自身が大人になって一緒に暮らしている子は、私にとって子供と同じような存在です。

先代の子がそうだったように、今暮らす子もその生涯を通じて、私達に何か大切なことを教えてくれたり、計り知れない幸せをくれています。だからこそ、愛情いっぱいに向き合って行きたいと思っています。

いつか、その子ともさよならをしなければいけない時が来たら、きっとそれまで向き合って見つめ合って来たその子も私の中に溶け込んで、同じ方向を見ながら、時には背中を押してくれたり、進むべき方向を教えてくれたりするのでしょう。

 

「忘れるのが供養」という言葉もありますが、私はそうは思いません。ずっと忘れたくなんてありませんから。

ただ、「あえて意識をして思い出す」ということがなくなることが、本当の意味でその子と魂が繋がった、と感じていられたらと思っています。

2代目の愛犬との暮らしと闘病・別れ

2代目の愛犬・キナは3歳の終わりごろに我が家にやってきて、12歳までの約9年間を一緒に過ごしました。引き取った当時はとても太っていて体重も40㎏ほどあり、新しい環境でキナ自身も戸惑いがあったのでしょう、しつけも一筋縄ではいかない共同生活が始まりました。

今思い出せば、嫌がらずに耳掃除をさせてくれるまで4年、自宅で爪切りをさせてくれるまで6年かかりました。それまでの間に信頼関係は築けていたものの、やはり本犬が本来苦手なことをさせてくれるようになるまでには時間がかかりました。

生前、キナはいろんな病気を患いました。それまでの記録は別記事をご覧ください。

投稿を編集 “犬の子宮蓄膿症の原因や治療法【実際の愛犬の症状から回復まで解説】” ‹ 仙台市・宮城県の訪問ペット火葬・ペット霊園【ふくふくやま】 — WordPress

ゴールデンレトリーバー犬のがん治療体験記:リンパ腫、肥満細胞腫

【犬の腎不全】点滴の日々と食欲不振からの24日間

いろんな病気をして、そのたびに「この子にとってベストな選択は?」と家族で話し合い、キナを含めてみんなでより一層「家族」になっていったと感じました。

そして再び訪れた悲しみのお別れ・・・家族とスタッフのみんなで、お花いっぱい、涙いっぱい、そしてキナの思い出を話しながら笑顔で見送りました。

最後に火葬炉の扉を閉めるとき、家族もスタッフのみんなもたくさんキナに声をかけてくれました。でも私はそれを少し離れたところで見ていました。生前の看病の中で、キナに伝えたかったことは目いっぱい伝えてきたという気持ちがあったからだと思います。「ちゃんと伝わってるはず。だから、大丈夫。」

周りのみんなのおかげで、自分でできることの何倍以上もの看病をキナにすることができたという気持ちと、お別れまで十分にお世話をする時間をくれたキナを心から誇りに思う気持ちがありました。

お見送りの様子は、こちらの記事をご覧ください。

【ゴールデンレトリーバーの火葬】涙と笑顔いっぱいのフラワー葬でふくふくやまの愛犬のキナの葬儀をした話

想像もしていなかった自分の価値観の変化

子供のころから一緒に暮らしてきた愛犬・ロックと20代で別れを経験し、その後引き取った2代目愛犬・キナと30代で別れを経験しました。ロックを見送り、キナを迎えるまでの4年間のブランクがありましたが、今思うとこのブランクは自分の生活や心の状態が犬と暮らせるようになるまでに必要な時間だったのだと思います。自分の成長とともに人生を過ごしてきたロックの存在の大きさもそうですが、自分自身が「別れの辛さ」というものに囚われすぎていて、「犬と暮らす楽しさや幸せ」よりも最後に味わった「悲しみ」で心を埋め尽くされてしまっていたのだと思います。

そこで「犬と暮らす楽しさや幸せ」を思い出させてくれたのが、2代目のキナでした。キナとの時間は、本当に本当に楽しかった・・・最期の看病は大変ではありましたが、大変なお世話をすることまで幸せだと思えるくらい、キナとの時間はかけがえのないものでした。

実は我が家にはチンチラという小動物もいて、この子も里親として引き取った子なのですが、健康優良児だったチンチラの「ももへー」がある日、目をシパシパとさせていたので動物病院に連れて行きました。そこで結膜炎と診断され、目薬と飲み薬を処方されて投薬をする日々が2週間ほど続きました。その時に「このお世話をする感覚・・・久々でうれしい!!」と思ってしまったのです。

嬉々としてチンチラに目薬をさす私。なんだろう、この幸せな感覚は・・・!と、キナの看病をしていたときのことを懐かしく、そしてその時のあたたかい気持ちまで一気に蘇ってきたのです。

キナを見送ったとき、それはそれは悲しかったけれど、周りのみんなのおかげで手厚く看病をして悔いなく見送ることができたこと、飼い主としてお骨になるまで見届けて、供養することができたことで、私のキナとのお別れの記憶はロックの時とはまた違い、とても幸せをもらった時間だったという記憶になっていました。

それも、(手前味噌かもしれませんが)ふくふくやまのスタッフみんなで後悔なく見送ることができるようにしてもらえたおかげだと思っています。

そして、キナを見送ってから約半年後、里親サイトを見るようになった自分がいました。

「私、また犬と暮らしたい」

動物保護施設から迎えた老犬・エルモ

ある日、仙台市の動物保護施設のサイトの「譲渡犬情報」を見ていた時に、推定10歳~12歳のミックス犬の写真を目にしました。

もしもまた犬を迎えることになるのなら、キナの時のように新しい飼い主を探している子にしよう。若いほうが一緒に居られる時間が長いのかもしれないけれど、それよりもその子の性質と我が家の環境が合うのであれば年齢なんて関係ない。一緒に居られる時間がお互いに充実できればという思いでした。

私はいてもたってもいられず、すぐに施設に電話をして面会をさせてもらいました。

そこにいたのは、冬に市内で放浪していたところを保護されたクリーム色の小さなワンちゃんでした。保護された時、毛も伸びっぱなしでモケモケの状態だったのが、セサミストリートのエルモに似ていたことから、施設の方が「エルモ」という名前を付けられたそうです。

しばらくの間、施設のかたが元の飼い主さんを探したそうですが、名乗り上げたかたがいなかったため譲渡犬として新しい飼い主の募集をかけることにしたそうです。そこで、審査の結果我が家に迎え入れることができることとなりました。

3匹目の犬を迎えての心境の変化

やはり、動物と暮らすというのは本当に毎日が楽しいです。ロック、キナと暮らした経験から理解できるエルモの行動もあれば、エルモはエルモで新しい発見もたくさんあります。

ドッグフードが嫌いで、ポイポイ器用に口から出しながら食べるところはロックに似ているし、お人形でプロレスみたいに夢中になって遊ぶところはキナみたい。そしていままでの子たちよりも誰よりも甘えん坊なのがエルモ。

今まで暮らした子たちとの違いや共通点を感じながら、亡くなった子も、今目の前に居る子も、みんなのことを同時に想えているような気がしています。

小学校1年生の時から一緒に暮らしたロックは、私の体の一部のような存在でした。その子がいなくなった悲しみや、「もう犬は飼えない」と思って次の一歩を踏み込めなかった時を経験して、偶然にも縁あって家族になったキナ。自分の生活やライフスタイルの中で「犬と一緒に暮らす楽しさ」を思い出させてくれました。そして、ペットたちは私の人生を彩り人生を共に歩んでくれる、守るべきかけがえのない存在だということもキナに教えてもらいました。亡くなった悲しみで押しつぶされて、自分の人生を暗いものにしてはいけない。そんなことを、ペットたちは望んでいない。自分の生活時間や経済状況が許す限り、めぐりあった縁をつないでいくことが、見送った子たちをいつまでも想い続けることになるということを、3頭の犬たちから今、私自身が教わっているのだと思います。

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コメント

  1. あくね より:

    3週間前に愛犬を亡くしました。これから長い時間をあの子が居ないまま生きていくのはとても辛いし、だんだんと日常を取り戻している自分も許せず、いつまでこの悲しみは続くんだろうと苦しんでいました。そんな時あの子が私の中に溶け込んでいる、という言葉を聞いてとても心が救われました。どれだけ幸せをもらっていたか思い出すこともできました。これからもあの子がずっと見守っていてくれると信じて生きていきます。本当にありがとうございました。

    1. fukufukuyama より:

      あくね様

       この度は、コメントのご投稿をいただきまして誠に恐れ入ります。
       私どもで綴った言葉に、共感していただきましてありがとうございます。ご家族様にとって、少しでもお心の支えになりましたらと願っております。
       きっとそばで見守ってくれていますよ。私の中に溶け込んでいると思うと、姿かたちがあるときよりも、その子をより近くに感じられると思います。
       少しずつ、一歩ずつで大丈夫です。涙よりも笑顔で、思い出話をしてあげてくださいね。

  2. ルルナ より:

    私は、去年愛娘を経済的にも苦しく治療費が払えなく出来る限りの介護しか出来なく入院や点滴など毎日してあげることができなく仕事があるときは年老いた母に頼みながらも毎日介護しました。もうすぐ16才でした。声がでなくなり食事も赤ちゃんみたいに注射器でのんだりと介護して行くなか暖かい感じのなか過ごすことがきました。しかし最後は水に溺れるように亡くなりました。すごく怖くても耐えなくてはならない。命の活動が耐えるまではそばにいなくてはならなくそのためには、介護が必要で要りたくさんの幸せをもらったのにたくさんの恩返しができませんでした。

    しかし彼女に教えてもらえたのは、可愛いからだけでは飼えない!経済的にもしつけや色々な心配などもあるなか一生共に暮らす精神力そして、介護がきたときや亡くなってからの悲しみを乗り越えて供養と言う形をとりしばらく犬は控えるのも供養のためになると学びました。またいつかご縁とタイミングで再び犬を飼うことがあってもこのいちねんでしたが、3つの約束を果たせないと犬は飼えない!とつくつぐ学びました。しかしれなちゃんにあえて16年間共に暮らしまた、それを叶えてくれた生んでくれたママや家族のささえに感謝しています。時々寂しくなり悲しくなります。しかし元気だった頃の写真に癒されています。

  3. はっさく より:

    私も今ペットロスの状態です。ちなみに昨日亡くなりました(2月4日)ハムスターなのですが、痩せ細った身体や、外側からも見れる黒くなった臓器を思い出すと、今にも涙が溢れだします。お庭に埋めてあるのですが、やっぱりその近くを通ると涙がいつの間にか溢れていることがあります

  4. まつむらきよみ より:

    3週間前に愛犬がなくなりました。たくさんの病気、4回の手術そしてとうとう虹の橋を渡ってしまいました。まだ12歳だったのに、毎日お骨を見る度に涙、涙、いつもそばにいたのに、いつになったらこの悲しみは…

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