ふくふくやまのアトリエ には、ゴールデンレトリーバーのキナという女の子が居りました。
今回は、その子の旅立ちを見送った時の様子を記しておきたいと思います。
実際の葬儀の様子や亡骸の写真もありますので、ご覧になる方は何卒ご了承ください。
それまでの闘病や旅立ちまでの記録は、過去の記事をご覧いただけましたら幸いです。
ペット葬儀の前に家族でのエンジェルケア
ここから亡骸の写真が写ります。ご了承ください。
腎不全末期のキナが夜中の3:30頃に息を引き取ってから、私と夫でエンジェルケアを始めました。
最後の2日間は自力で立つことができずに寝ながらおしっこをしていましたが、亡くなった後は身体の中の排泄物が外に出てきたので、ペットシーツや濡れタオルを大量に使いながら体の汚れを取りました。
体が大きく、お風呂場でシャンプーはできないので、まずはペットシーツで排泄物を可能な限り拭い取り、ペットのお尻まわり用の洗剤を被毛に染み込ませてはまたペットシーツで汚れを吸い取るという作業を何度も繰り返しました。
汚れがひどく、排泄物の色素がついてしまって取れない被毛はシェーバーでカットしました。
ある程度汚れが取れたら、改めて新しいペットシーツをお尻の下に敷き、ブラッシングをしながらさらに汚れを取って行きます。この作業を繰り返すと、お尻周りの大体の汚れは取れたので、お尻の穴に綿球を入れました。
晩年は鼻からは膿が混ざった鼻水も出てきていて、それが亡くなった後も止めどなく流れてきました。ある程度取ったらこちらもコットンを詰めましたが、何度か交換が必要でした。
ゴールデンレトリーバーキナのエンゼルケアの後の様子
ぽっちゃりしていた身体も、3週間以上ほとんど食べられずにいたので骨張ってしまいました。
こけた頬の中に少し綿を入れてふっくらとさせ、瞼を閉じさせたらまるで眠っているように綺麗な顔をしていました。
朝の5:30には急いで駆けつけてきた両親も揃い、みんなで涙涙の中で爪切りをして、キナの体を綺麗に整えました。
爪切りは生前、家族の中で私だけができるケアだったので「みんなでやろう、一生の思い出になるから」と声をかけて、家族もおっかなびくりではありましたが、キナの爪切りをして「みんなに綺麗にしてもらってよかったね」と声をかけながら家族で涙しました。
家族やスタッフみんなでこの24日間、たくさんたくさん撫でて来たのでキナの毛並みは生前の時のようにツヤツヤとしていました。
綺麗なお布団に寝かせて、火葬はいつしようかと相談した結果、「お別れは惜しいけれど、24日間も頑張ってくれたのだから早めに身体を軽くしてあげたい」という私の思いを汲んで、その日の夕方に荼毘に付すことにしました。
お花いっぱいのキナらしい祭壇
ふくふくやまのスタッフに心を救われた愛犬の葬儀
午前9時、スタッフが出勤をしてきてくれました。
キナを撫でながら涙で「がんばったね、キナちゃん」とたくさん声をかけてくれました。
私と夫は午後の葬儀に向けて祭壇のお花を買ってこようと、キナをスタッフの方々にお願いして一旦出掛け、帰宅した時に玄関に飾られたメッセージに涙が止まりませんでした。
アトリエの入り口に飾られたメッセージボード
笑ったようなキナの写真の下に
「キナちゃん 今まで本当にありがとう。ロックちゃんが虹の橋で待っててくれているよ。おつかれさまでした。」
なんと粋な計らいをしてくれるのでしょう・・・準備してくれたスタッフのその気持ちがとても嬉しかったです。
その日お休みのスタッフもどんどん集まってくれて、みんながお花やキナの好物を持ってきてくれました。
キナが食いしん坊だったことをよく知るみんな。「キナちゃんに」とかばんから出てくるのは唐揚げやおにぎり、パン、スイーツ、果物、なかにはキナのためにお弁当を作ってきてくれるスタッフもいて、「キナが好きなやつだ!」と泣き笑いをしながら「ありがとうございます」と私も両親も涙が止まりません。
みんなが持ってきてくれたごはんやおやつ、お花でいっぱいの祭壇には、笑顔のキナの写真が飾られました。
ふくふくやまのアトリエの中はオレンジ色が特徴的で、キナはいつもそこにいたので、キナのイメージのオレンジのお花をいっぱい選んだフラワー葬の祭壇を作りました。
選ぶお花1つ1つに想いを馳せて作った、お花とごはんいっぱいの祭壇はなんともキナらしくて、「家族として最後までやれることをやってあげられた」という思いにもなることができました。
いつも聴いていた母のオカリナの音色でお見送り
オカリナの演奏で見送られるキナ
実家の音楽教室から聞こえてくるオカリナやピアノの音色が大好きだったキナ。
葬儀の時に最後に聞かせたいと、母が楽器を持ってきてくれました。
演奏したのは「いのちの歌」
両親も私達も、スタッフみんなも大好きな曲です。
母の涙を堪えながら奏でる1音1音には、先代の愛犬ロックを見送ってからポッカリと空いた家族の心の穴を幸せいっぱいで満たしてくれた出会いから、成犬で引き取ったがゆえの楽しさや苦労、病気をするたびに家族で相談をしてキナにとってのベストな形を模索し続けた思い出、そして、家族の絆を強くしてくれたことへの感謝、いろんな気持ちが込められているように感じました。
まだ若い頃。お散歩の練習中の思い出
家族みんなとスタッフみんなの力を合わせて、とてもあたたかく優しいお見送りになりました。
周りの方への感謝を伝えるペット葬儀
オカリナの演奏の後、私達家族から自然と言葉が出てきました。それは、生前にキナをたくさん可愛がってくれたスタッフのみんなへの感謝の言葉でした。
仙台でのふくふくやまの歴史が始まる時にキナと出会ったことや、こうして会社で働いてくださっているみなさんにもとても愛されて来たことへの感謝を述べた夫。
私は、夜中にキナが亡くなった時の情景を話し、「皆さんがたくさん手を貸してくださって、私達だけでできる以上の本当に手厚いお世話ができたことで、悔いなく見送ることができました。」と心からのお礼の言葉を伝えることができました。
父は「言葉になりません」と涙でみんなに深々と頭を下げて感謝の意を伝えました。
自分が大切に想っている存在を、周りの人も大切に想ってくれることがどれほど幸せでありがたいことなのかを実感しました。
みんなで泣いて、ティッシュの争奪戦をしては笑って、本当に愛がいっぱい溢れるお見送りでした。
みんなで遺影の写真を選びました
みんなからのお手紙を持っての旅立ち
大好物もいっぱい持たせました
「みんなでメッセージカードを書こう」
誰かがどこからともなくかけた一言で、みんなでペンを取ってキナへのメッセージを綴りました。
スタッフの息子さんもキナの似顔絵を描いて添えてくれました。
火葬台にみんなで移動をして、横になったキナにたくさんのお花とごはん、メッセージカードが添えられました。
「ありがとう。またね。大好き。」
みんな思い思いに最後に言葉をかけて見送りました。
「骨になっても可愛い」の言葉に救われた収骨
ゴールデンレトリーバー・キナの旅立ち。火葬炉前にて
火葬が終わり、私は自ら希望して火葬炉の扉を開けるところから立ち会いました。
優しい顔をしてこちらを向いていた愛犬の横になった顔のおもかげのまま、その姿はお骨になっていました。
「最後までよくがんばったね。」という思いが込み上げて来て、寂しさや悲しさよりもキナが病気から解放されたこと、「またこれでずっと一緒にいられる」という安堵の想いが出て来たのが正直な気持ちでした。
立ち会ってくれたスタッフ全員がセレモニースタッフなだけあり、みんなで丁寧に正確に愛犬の遺骨を並べてくれました。
「キナちゃんのお手手だ!」
「やっぱりしっぽは途中までしかないね」(キナは病気で断尾をしていました)
「お骨になっても可愛いね」
と声をかけながら収骨の準備をしてくれたその優しい後ろ姿と声がけに、私達家族がどれほど救われたかわかりません。
ふくふくやまでのセレモニーの仕事を各スタッフの方に伝え、教えて来たのは私達夫婦ではありましたが、その私達が感動するほどそれぞれのスタッフがそれぞれの優しい言葉や振る舞いで気持ちを添えて、家族に寄り添ってくれているあたたかい想いが伝わりました。
手前味噌かもしれませんが、ふくふくやまの最高のスタッフの力を借りて、この上なく幸せなお見送りができたと思います。
旅立ちの前には誰しも、どんなに手を尽くしてきても
「もっとこうしてあげればよかった」と後悔の念を抱いてしまいがちだと思いますが、最後まで家族として手厚く見送る悔いのないお見送りをすることで、その後悔や寂しさ、心の苦しさも少しずつ和らいでいくことができるのかもしれません。
そのお手伝いを、これからも誇りを持って努めて行きたいと改めて思うと共に、悲しみの場面に寄り添う見送りの仕事をぜひやりたいと心を寄せて集まってくれたスタッフのみんなに感謝の気持ちでいっぱいになった、愛犬キナのお見送りでした。
皆様から贈っていただいたお花でいっぱい。よかったね、キナ。